すめし

早くガンダーラに行きたい。(成人済)

124日って何ヵ月

更新してないという自覚はあったけどまさか124日も経っているとは思わなかった。約4ヶ月も過ぎていたことがぞっとした。このままなんとなく何もできないまま朽ちていくのは、なんとなく嫌だけど、そんなことはみんな思ってる気もしてる。この4ヶ月の中で一番変わったのは季節、気づけば冬になってた。二番目はちいかわのセイレーン(島)編が終わった。結構変わってるね。

私だって爽子になりたかった

(漫画のネタバレを含みます)

令和を代表する漫画、平成を代表する漫画、と時代をくくって漫画を評価するなんてセンスがないのかもしれない。でも平成のあの頃だったから描けた漫画だってたぶんあって、君に届けもそうだと思う。

君に届けは学生の頃に読んでいた。黒沼爽子という周りからは暗いと思われて避けられているけど、本当は真面目で優しくて芯があってちゃんとやりたいことはやる、そんな、夢みたいな性格の主人公と友人とクラスメイトの青春物語、それが君に届け

この黒沼爽子という人物はとにかく素直で優しい。人に気持ちを伝えるのが少し下手かもしれないけれど、(特に序盤)とにかく純粋で素直で真っ直ぐな人間。結局、素直で真っ直ぐなところは、恋を知っても嫉妬を知っても人付き合いが増えても変わらなかった。

私がこの漫画で一番好きなシーンは2巻にある。爽子に高校生になってはじめての友人ができる。その友人であるあやねちゃんと千鶴と行き違って、仲直りするシーン。私は号泣してしまった。友達に対して「好きよりも もっと大好き」って言える心を黒沼爽子は持っていた。あやねちゃんと千鶴はそれを受け入れる心を持っていた。あまりにも良い友情……

一番好きなシーンは2巻と書いたが、君に届けは全30巻ある。でも、もし2巻のシーンが好きだけど、途中で読むのをやめてしまった人がいたら、ぜひ最後まで読みきってほしい。2巻のあのシーンはやはり大切だった。

私がこの漫画を読みきったのは大人(社会人)になってからだった。読みきった直後、私は泣きながら、「私だって爽子になりたかった」と強く思った。本気でそう思った。読み終わって、なんでか情けなさややるせなさ、物語の優しさ、この漫画が終わってしまったこと、いろんなことを感じてはいたけど、本当に強く思ったのはそれだった。

最初にも書いたように黒沼爽子は素直で優しい。そしてとにかく両親を大切にして、これからも大切にしようとしている。ライバルのことも許し、友人のことも大切にし、クラスメイトにも優しい。恋人にも真摯に向き合っている。本当に優しく、素直な子だ。

私だってそうなりたかったと泣いた私は、爽子にはなれないことをもうわかってた。

爽子はいいな~って羨んだり、他の登場人物を好きって言ったり、そうやって物語と自分を地続きのように感じられたころに読みきっていたらそうは思わなかったかもしれない。

物語は読む時期によって感じかたが違うから、出会ってすぐ読んだ方がきっといい。だって今より先にもう一度、読み返すことはできる。もしかしたら10年後、君に届けを読んでみたら全然違う感想を抱くかもしれない。今と同じかもしれない。

こんなに君に届けの話をしてるのに、くるみちゃんことも龍のことも話してない。とにかくこの二人が好きだったということだけ書いて残しておく。この二人のこともどこかで記事にしたい。

少女漫画の主人公になりたい、なんて大人になっても思うと思わなかった。もう少しちゃんとした大人になりたかった。仕方ないね。

隣には階段

エスカレーターの正しい乗り方が知りたい。一昔前は片側は止まる、片側は歩くのが当たり前だった気がする。だけど最近は、エスカレーターは止まるもの、という呼び掛けが増えた気がする。だけど、駅のエスカレーターは今も片側は止まらずに歩く人が多い。

エスカレーターに乗るときは止まる、私もそうしたい。安全性とか歩くと危険とかそういう話だけでなく、エスカレーターに乗るときは歩きたくないときだから止まってて良いなら片側も止まっていたい。止まるのが正しい、みたいな考えがもっと広まってほしい。正義感ではなくエスカレーターくらい歩かなくてもいいと思っているだけ。

通勤で使う駅には一人しか通れないエスカレーターがある。乗るときは一応後ろを気にはするけど、絶対に走らない。なぜなら隣に階段があるから、急いでいるなら階段を使えば良いと思っている。たまに止まっていると舌打ちをされる。そんなときは「隣に階段ありますけど」と煽りたくなるが我慢している。これからも使うあの駅で急いでいる人に階段に気づいてほしい、エスカレーターに乗るときは止まっててもいいって、これが広まってほしい。

花道とすみれ

(漫画のネタバレを含みます)

漫画を読むのが好きで昔からよく読んでいた。最近になって自分が少年漫画的展開に弱いことがわかった。情けないことにそれがどんな展開か上手く言語化できないが、私の中では少年漫画的展開、という言い方が一番しっくりきている。そういう話を読むとすぐに泣いてしまう。特に、客観的に正しいか正しくないかではなく、その時その瞬間しか考えられないほど今を生きているからこそできる、刹那的で無謀な選択、みたいなものが本当に自分の琴線に触れるらしく、何度読んでもだばだば泣いてしまう。(泣く=感動的でいい、とは思ってないですが、ここではいい意味で使ってます)

特に印象的なシーンがある漫画は王道だけどスラムダンク。私は花道の「オレは今なんだよ」がスラムダンクの中で一番好きだ。大人になってより好きになった。あのときの花道の選択は正しくはなかったかもしれないけど、正しいとか正しくないとかではなく、今を、今しかないほど懸命に生きているからこそあんなに真っ直ぐでまぶしい言葉が出てくるんだと思っている。

そんな花道の言葉を、少し前に舞妓さんちのまかないさんを読んでいるときに思い出した。すみれが怪我をしてしまい舞台に出ることを止められてしまったとき、ただ自分の仕事が好きだからそれでも踊りたい、と気づいて我を通すという話がある。この話を読んだとき、なんでか、すみれ(百はな)と花道が重なった。たぶん、正しいか正しくないかではなく、今だけを考えて選択している様が似ていたのだと思う。大人になって、花道の選択もすみれの選択も、正しくはないと思う。でもこれは物語だから、今だけを考えたまぶしいほどの選択を肯定できる方がきっといい。私はそう思う。

少女漫画的展開

(漫画のネタバレを含みます)

数日前(数週間前?)Web漫画で読みきり作品を読んだ。読み終わったあとどこか懐かしい気持ちになり不思議に思った。(作品に懐かしさを感じる要素が見当たらず過去に読んだことのある作者でもなかった)コメント欄をみてみると展開について不満の声が多くあがっていた。その漫画は青春恋愛友情物で途中主人公が好きだった人が亡くなってしまった。「亡くなる必要はなかった」「無駄」みたいな感想を読んでいたときなぜ懐かしさを感じたのかがわかった。そうだ、この主人公が好きになった人が亡くなる急展開は私が幼いころ読んでた少女漫画によくあった。たぶん。今思い出せるのはキッチンのお姫さまだけだけど他にもあった(気がする)。

人が亡くなる展開が好きな訳ではなく、昔読んでた少女漫画にはよくある展開だったのでそんなに批判しなくても…とコメント欄をそっと閉じた。

今家にキッチンのお姫さまはないけど、そういえば満月をさがしての1巻はあった気がするので読み返すかもしれない。

少女漫画的展開を思い出させてくれた読み切りはその展開も含めて好きだったので、もし見つけたら読んでみてください。